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- 2023.12.07 Thursday
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トリュフォー作品を集めたDVDのBOXセットに収録されていない作品です。そういえば持ってないから観てないぞ、と気づいて買っちゃいました^^ ◆黒衣の花嫁(La Mariee Etait en Noir)1968年 監督:フランソワ・トリュフォー、原作:コーネル・ウーリッチ
上のあらすじは、物語のはじめの方の謎めいたところに留めておきましたが、この後、どんな話なのか書いちゃいます。知りたくないよーって方は残念ですがここでお引き返しくださいまし^^; あ、でも一つだけ。この映画はタランティーノ監督がモチーフにした作品とのことですので、タラ氏のファンの方はご覧になるとよいですよ^^ ↓ネタバレご注意↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 結婚式を終え、教会から出てきた新郎新婦。しかし祝福を受け幸せの絶頂の最中、夫が何者かに射殺されてしまう。最愛の夫を突然亡くした若妻はその後、5年間で犯人と呼べる5人の男たちの所在を突き止め、復讐のために次々と殺害していくことに・・・。 そう。タランティーノがこれをモチーフとした作品は「キル・ビル」です。当然こちらはあのようなバイオレンス系ではありませんけどね。非情ではあっても暴力的ではなく、ラブシーンも一切なしで描く愛の物語です。 インタビューによると、トリュフォー監督はこの作品は忘れたいほどの失敗作と見なしているそうですね。明るい昼間のシーンばかりのカラー作品なため、ミステリアスな雰囲気が全て台無しになってしまっているとのこと。 確かに、あらすじを知らずに観た私は、ちょっと謎めいた感じではあるものの、一人目が殺害されるまでサスペンス・ドラマだとは気づいてなかったんですよねー^^; しかしサスペンスだと分かれば、何人殺す気なんだろう?目的はなんだろう?真相は?結末は?と楽しんで観られました。ま、正直に言えばやはり、本来あるべきドキドキ感は特に無かったですけれども^^; この作品では "一応サスペンス" な物語でしたが、原作はどんでん返しなども仕込まれたもっともっとサスペンスらしい話だったそうです。しかしトリュフォーが撮るとなればやはり主題は「愛」ですよね。"一途な愛を描く" ということが狙いだとすれば、特に問題ないつくりだったのではないでしょうか。サスペンスを意識し過ぎてゴチャゴチャとややこしくしなかったのは正解のような気がします^^単純明快な復讐劇で、私はキライじゃありません♪ 主人公を演じたのは「突然炎のごとく」でモテモテだったジャンヌ・モロー。こちらでは女を武器にして憎き男たちに近づき・・・と言う役で、男を虜にする魅力は健在・・・と言いたいところですがー、残念ながらそうは思えず^^;「突然〜」から6年が経ち40歳になったモローは少しふくよかになり、特に口元に熟女感を漂わせまくってました><まんまと罠にかかる男性陣も若いわけではないので、酷くおかしいわけじゃないのでしょうけど、簡単にデレレ...となってしまうのにはどうも無理があるように見えますね。「デスパレートな妻たち シーズン7」でブリーがブライアン・オースティン・グリーンにべた惚れされるのに似た違和感^^;もちろん美人は美人なんですけどね。 キャストにはジャンヌ・モロー以外にも、他のトリュフォー作品で馴染みのある俳優さんがチラホラ見られました。殺される5人の中には「暗くなるまでこの恋を」の探偵役ミシェル・ブーケや、「夜霧の恋人たちの」靴屋社長のタバール氏役ミシェル・ロンズデール(この方はマイケル・ロンズデールという名前で有名作にも出演している有名俳優だったのですね〜)、「恋愛日記」「私のように美しい娘」のシャルル・デネなどが。 |
トリュフォー作品の中でも有名作のはずですよね。 旧ビバヒルでもディランが薦めてましたし(笑) ◆突然炎のごとく(Jules et Jim)1961年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー、原作:アンリ=ピエール・ロシェ
これは私、ずっと前からDVDを持っているんですが、まだ今回2度目の鑑賞でした。というのは、第一印象がイマイチだったからです。 理由はもちろん、奔放な女カトリーヌにイラっとしてしまったことですね。 そんなマイナスイメージが変わるのか...ま、無理だろうね、なんて思いながらももう一度観てみることにしましたー。 映画冒頭で読まれる、同じアンリ=ピエール・ロシェ原作の「二人の英国女性と大陸(恋のエチュード)」からの引用が絶妙に表す男女の関係。これが物語になっているような感じの内容です。 「きみを愛してる」あなたは言った 「恋のエチュード」は一人の男が姉妹2人共を愛してしまい・・・という話。 こちらは2人の男に愛され、両方を愛しているような、友情の延長のような・・・とあやふやでどっち付かずみたいな状態になってしまう女と2人の男の話。 どちらも似たような三角関係の話ですが、「恋のエチュード」の方では男がどう見てもマザコンで甘ったれ坊ちゃんだからか、しょーがないなぁ〜って感じで観られるのに、「突然炎のごとく」で同じようなことをしているカトリーヌには我慢できない自分がいたりして。男尊女卑の気があるんでしょうか^^; 確かにカトリーヌはキラキラして溌剌とした女で、可愛く思えるところもありますが、あまりに自由過ぎますよね。ジュールとジムの好意につけ込んでるだけにも見えるし。 3人が出会った頃なんかは特に観ていてとてもステキな関係に思えたし、カトリーヌも『ちょっとワガママなところもあるけど変わっててオモシロい女の子』って感じだったんですよ。でも年月が経ってしまうと、単に自己チューで突発的な行動の多いイタい女でしかなくないですか?^^; もちろん、自分を偽らない奔放さが彼女の魅力なのかもしれませんが・・・ う〜ん・・やっぱダメだなぁー・・・ 最初のジョルジュ・ドルリューによるハイテンションなテーマ曲は大好き♪ 劇中でジャンヌ・モローが歌う歌もステキだし、有名なジャンヌの男装や競走シーンも好き!文学青年2人の友情も気持良い。結末もわりと嫌いじゃない^^; ただ、結婚後のカトリーヌが観ていられない!なんとかならないかなぁ。francois |
「大人は判ってくれない」から5作続いた『アントワーヌ・ドワネル』シリーズの最終作です。好きで何度も観てますが、今回はこれに関するトリュフォーのインタビューを読み自分が誤解していたことを知って、確認のためにちょっと久しぶりに観ました^^ ◆逃げ去る恋(L'amour en Fuite)1978年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー
この主題歌がねー!大好きなんですよぉー!!映画主題歌の中で一番好き!と言ってもいいですね。フレンチって感じのアンニュイなメロディがたまらないの^^
が、今回読んだトリュフォーの話では、過去のシーンは96分中18分程度とのことで、実際に観て感じるよりもずっと少ないということでした。誤解していたというのは、このことです。ホントに回想シーンのつぎはぎの印象が強く残るんですよね。そういう意味で監督自身も「編集自体は上手くいってるんだけど、一本の映画としては失敗」と言ってました。私もこのシリーズの中からこれを人に薦めることはないな・・くらいには思います^^; それにしても、よく見ると「アメリカの夜」などシリーズ外の作品からも使えるシーンを持ってきてるって"インチキ"もあるのも面白いですねー。編集が上手くいってるという意味もよくわかります。 で、回想シーンばかりが強く残るからといって新たな物語が面白くないかと言うと、個人的にはそうは思ってなくてわりと楽しんでるんですよね。別居中だった妻との離婚、新しい彼女との関係、過去に別居から一度戻った際にできた新しい友人のこと、母親の昔の恋人との再会など、エピソードや登場人物たちに魅力を感じながらいつも観てるんです。 ま、とにかくこの20年前の1作目「大人は判ってくれない」での15歳からここに登場する35歳まで、一人の役者が実際に成長して見せるというのは、とても珍しいし面白いですよねー。その最終段階である中年のアントワーヌも見ておかないとって感じもありますし。しかも身体の成長のみで中身が全然成長してないってところも彼らしくって、妙にリアルにそんなもんだよなーって感じがしてまた好きなんですよねー。 関わりのあった女性たちが、本人の居ない時も含めてこぞってアントワーヌをけちょんけちょんに叩くのも面白いですし。それも、非難しながらも"でも憎めない"ってスタンスなんですよ。観ている方としても本当にそうで、シリーズ通してアントワーヌという男の言う事やる事に「まったくもぉ!」なんて思いながらも、魅力を感じずにいられないという。不思議なキャラクターですよね。愛すべきダメ男とでも言うのか^^このシリーズはトリュフォー監督の自伝的内容として有名ですが、最後に来てこういう内容にしたっていう監督の自虐的なところも面白いし大好きです。francois |
セザール賞主要10部門を総なめにした大ヒット作だったそうです。今回初めて観ました。動いてるカトリーヌ・ドヌーヴを見たのも多分初めて♪(・・と思いきや、調べると「8人の女たち」で観てたみたい。特に記憶に残ってなかったっす) ◆終電車(Le Dernier Metro)1980年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー
1969年の「暗くなるまでこの恋を」に起用した際にカトリーヌ・ドヌーヴの魅力が全く生かせなかった、ということを反省したトリュフォーが今度こそ!と息巻いてチャレンジした意欲作だったそうです。 ということで、カトリーヌ・ドヌーヴの魅力をたっぷり堪能できる作品になってました。 写真で彼女の顔を見る機会がたまにありましたが、特に好みだと思えることがなかったので、全然興味を持ったこともなかったんですよね。 でも本作では監督の意図した通り、カトリーヌ・ドヌーヴが素敵♪と楽しむことができましたー 劇場支配人としててきぱきと仕事をこなし、夫を献身的に支え、華やかな女優として舞台に立つ。とりあえず役がオイシイですよね^^ そしてとても美しかったです!動いてるとやっぱり写真とは違いますねー。 エレガントさと貫禄に参りました。 実際にトリュフォー監督は10歳当時、こんなドイツ占領下のパリに暮らしていたそうです。 当然その時は子供ですから、実際にこの映画で描かれているようなことを自分が体験したわけではないでしょうけど、周りの大人から見聞きしていたエピソードをたっぷり盛り込んでいるようです。 劇場を中心に色んな人たちのエピソードが散りばめられて、ちょっとした群像劇のような作りになっていました。でも、あくまで中心はドヌーヴですね。3つの顔を持つ彼女を取り巻く環境(=当時のパリ市民の生活)がこまごまと描かれていてとても興味深く観られましたよ。 と言っても、身を潜めるユダヤ人まで扱ってるにもかかわらず、戦時中の緊張感が描かれることはほとんど無いので、重い気持ちにはあんまりなりません。 ストーリーは別に電車の話じゃなかったですね(笑) 「終電車」というタイトルは、夜11時以降は外出禁止なため終電車に間に合わないと大変なことになるという、その時代のパリの生活の象徴ということでしょうか。 主に戦時中の舞台の稽古〜上演の様子が描かれていましたが、実はラブストーリーでした。 「実は」と言うのは、ストーリーの大部分において表立って愛を語る感じになっていないから。 トリュフォーだから絶対ラブストーリーなはず!と思って観ていた私は、細かな表情や目線からラブストーリーとして観ることができましたが、特にそう思わずに観ていたら、もしかしたら最後にようやく気付くことになったかもしれないなと。(ということは、唐突で意味がわからない可能性も・・) これは是非、先にラブストーリーだと知っていながら観た方がよさそうですよ?て、そんな鈍いのは私だけですかね・・^^;francois |
昨年「唇によだれ」で見たコケティッシュな魅力あふれるベルナデッド・ラフォン主演の映画をチェックしてみました。 男達がついついが吸い寄せられてしまうアバズレの役がバッチリ合ってましたよ^^ ◆私のように美しい娘(Une Belle Fille Comme Moi)1972年 監督:フランソワ・トリュフォー、原作:ヘンリー・ファレル
重〜い雰囲気の「恋のエチュード」の次に撮られた作品。 トリュフォー監督は、1つ撮ると次は真逆なタイプのものを作りたいと考えるそうです。 これ、いい感じのおバカコメディですよぉー^^ 内容は殺人まで企む悪女の犯罪系な話なんですが、超軽いタッチで手軽に楽しめました! 学者が服役中の主人公カミーユを訪れ彼女の犯した犯罪についての話を聴いて行くわけですが、このカミーユというのが全く悪びれない、あっけらかんとした、もっと言えばキャピキャピしてるくらいの女性なんですよ。 もう囚人とは思えないほど溌剌としちゃってる^^ 身の上話の途中に学者に向かって「貴方、髪を伸ばすと可愛いわよ。あはは!」みたいなことを言ってみたりとか。 その彼女が付き合ってきた男達とのハチャメチャなエピソードも全部可笑しい! 彼らは皆、カミーユと寝ることしか考えていない最低な男たち。 この映画は、そんな男たちの中で生き延びる戦略を描いた作品とのことです。 でもカミーユも含め男たちもみんな、変なんですよ。 変な男たちが変な女を振り回し振り回されていく、そんな変な話を楽しむ映画って感じがしました^^ 特に、後に同じトリュフォーの「恋愛日記」に主演するシャルル・デネ演じる男のくだりが面白かったです。「恋愛日記」で女たらしだった人が、男女が逆になったような本作で潔癖な男を演じてるというのもいいですね。 この社会学者を演じた舞台出身のアンドレ・デュソリエという人は、これが映画初出演だったそうで、当時26歳。品の良いマイケル・J・フォックス(似てるわけじゃないけど、瞬間的にそう思った)といった感じの素敵な人だったので、ちょっと調べてみるとその後も日本で公開されている作品にも色々出ているようで。私が分るものでは、「アメリ」のナレーションをしていたようです。 それにしてもベルナデッド・ラフォンという人は、本当に可愛らしくて「奔放」という言葉がぴったりハマる女優さんですねー。顔自体は決して私の好みじゃないんですが、魅力を感じずにいられない雰囲気があります。 そして彼女がガナるように歌う歌が酷すぎてサイコーです! この映画は話も面白いけど、彼女に会いたくて何度も観ることになりそうですね^^francois |
『子供たちの日常を愛情たっぷりに描いたシネ・スケッチ』とのことで、ストーリーらしいストーリーも特に無いらしいし、子供だらけの内容らしいし・・・で興味が沸かずずっと放ったらかしてたDVDをやっと観ました。 (いったいうちには放ったらかしのDVDが何枚あるんだって感じですが・・) ◆トリュフォーの思春期(L'argent de Poche)1976年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー
なんてキュートな映画でしょう!! どうして私はこれを今まで観てなかったのか!とすぐに反省しました。 "ストーリーが無い"と聞いて、「じゃあ子供が遊んでるだけ?」みたいなことを想像してとても面白そうとは思えずにいたんですが、「こういう話」という説明ができる内容でないというだけで、魅力的なエピソードが満載のとっても楽しい作品だったんですよ。 赤ん坊から12歳までの250人の子供たちが出演して、冒険でもファンタジーでもなく子供たちの日常が描かれています。 素人の子供たちの中から演技の出来る子が選び出されて、悪知恵だったり恋だったりという各エピソードを溌剌と演じてました。 特に子供同士のやりとりのシーンは、きっちりセリフを決めず演出も付けず自由にやらせたそうで、生き生きとした自然な子供たちの姿が本当に可愛らしくてほのぼのと見てしまいました。 中でも印象的なよちよち歩きの小っちゃい子の衝撃シーンには「なんてことを!」とビックリしたんですけど、実はこの当時に実際にあった事件をそのまま取り入れたそうで、それを知ったらあのミラクルをミラクルとして心から楽しめましたね^^ 先生も「大人は判ってくれない」に登場した先生とは違って、厳しさもありつつ忍耐強くて温かい理想的といえる先生が子供たちを見守ってくれてて、気持ちよく観られました。(「大人は〜」の先生は怖くて観てられない・・) 夏休みを前に先生が子供たちへ語る話はトリュフォーからのメッセージであることも明らかで、彼の子供たちへの愛情がよくわかるのもなんだか嬉しいです。 それと、たくさん出て来る子供たちのうち主な役の子たちがみんな色とりどりの服装になっていて、翌日になってもそれぞれ同じ色の服(同じ服?)を着ていてくれるので、顔が覚えられなくても色で判別できて混乱しにくかったのも助かりましたね。 イタズラや犯罪スレスレなことをすることはあっても、全体を通して子供同士の揉め事が一切無いのも良かったですし。 子供が嫌いな私がこれだけ楽しめたんですから、子供がお好きな方にはもっともっと楽しめるのではないでしょうか。全体に大きなストーリーの展開が無い分地味かもしれませんが、それでも途中で飽きることの無いステキな作品で、とてもおススメです。francois |
イザベル・アジャーニの出世作として有名な作品ですが、あまり彼女が自分好みじゃなかったので、一度観ただけでしまってあったDVDでした。今回2回目の鑑賞です。 ◆アデルの恋の物語(L'histoire D'Adele H.)1975年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー
初恋の男を追って家出して、宿代や生活費の無心のために父へ手紙を書き、「恋は私の宗教」と日記に綴り彼を崇め、盲目的に恋する実際の相手にいくら拒絶されても追い続ける・・・などなど、好きな男を想い過ぎて暴走する女の子の話。 アジャーニはこの時19才くらいなので、まぁ若気の至り的な感じに見えなくもないけど、実はこれはユゴーの次女アデルの実話だそうで。 しかも、実際はピンソンを追ってカナダへ渡った時の彼女は33才だったらしい。 面白いくらいイタいですねー。 こんな激しくせつない恋の物語を「イタい」で片付けようなんて乏しい感性の自分が悲しいんですけど、でも話が進むほどイタさが増して来るんだもの・・・ トリュフォーだから観ていられたという感じ。 これ、なんなんでしょうね?・・慣れ?なんかそんな気もする。 だいたいいつも主人公の恋愛に対する考え方や行動が、どこか似たような人じゃないですか? (そんな大雑把な観方は酷いなとは思うけど・・) "愛がなければ生きられない"トリュフォー本人に似てるのかもしれないなーなんて思ったりして。 なので"そういう人だから"、と分ってるから許せるという感じ。 やっぱり慣れですね、少なくとも私にとっては。
そんなことよりも個人的には、以前に観た時にも思ったんだけど、ピンソンの見た目がとても好きなんですよ。 ブルース・ロビンソンという方。 インパルスの板倉を西洋風にちょっと改造した感じで、かなり好み。 彼を見るためにもっと繰り返し観たいとは思ってるんだけどね・・francois |
映画の制作風景を覗き見 ◆映画に愛をこめて アメリカの夜(La Nuit Americaine)1973年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー
『パメラを紹介します』という一本の映画(このタイトルも可愛くて良くない?)の撮影完了までの制作風景を中心に描かれた、トリュフォーの映画への愛が詰め込まれた作品です。1973年度アカデミー賞外国語映画賞などを獲得した、なかなかキャッチーな映画ですよ。架空の映画の撮影風景というシチュエーションがフィーチャーされて、ちょっとした異色作のような言われ方をすることもありますが、結局は撮影にたずさわる人々の様々な人間模様を描いたドラマですよね。 役者やスタッフたちが次々と恋愛だの妊娠だのという個人的な問題を持ち込んで来るために、映画の制作が思うようにはかどらないことに苦悩する監督が中心かな。「我々には幸福は仕事にしかない」と監督のセリフにありますが、色々あっても楽しんでますよってことが伝わってくるのが、観ていてとても楽しいです。 トリュフォー監督が架空の映画監督として主演をやってらっしゃいます。なので一応演技をしているんでしょうけど、彼の撮影を見学したという方の解説によると、実際の監督の仕事ぶりや人柄はこのままだったということです。ということは、この映画で実際のトリュフォーの監督風景を覗き見できると思っていいんじゃないかな?^^嬉しいですよねー!更に嬉しいのは、彼がキャスト/スタッフに対して父親のように接する様子が確認できること。偉そうに命令したり怒鳴り散らしたりなんか絶対しないんです。私が彼の大ファンになった理由の一つがその人柄だったような気がします。・・しかし"監督"のイメージってなんでこんなに悪いのかな? 劇中の架空の映画に出演している俳優役のジャン=ピエール・レオー。私は元々は彼を目当てにこの映画を観たんですが、ここではアントワーヌ・ドワネル以上のワガママな様子にイラっとさせられるキャラでした。(笑) トリュフォー扮するフェラン監督曰く「彼は赤ん坊なんだ」そうで、これも実際に父子のような関係だったレオーに対するトリュフォー自身の言葉なのかなー?なんて思っちゃいましたが。やはり愛情を感じますよね^^ 主演女優役のジャクリーン・ビセットは美しいんですが、実は私の好みではありません。この作品中美人という意味で個人的に好みだった女優さんは、セリフを覚えられない年配女優を演じたヴァンレンティナ・コルテーゼくらいだったんですが(イタリア人のオバちゃんですが、顔つきがガルボ風に見える時があって・・)、他にもっと気になった方がいました。記録係のようなことをしたり共同脚本家のようなことをしたりしていたナタリー・バイです。ここではとりたてて美人という風貌ではないんですが(歳をとった最近の方が断然きれい!)、てきぱきと仕事をこなす有能なスタッフで、たまには遊んでみたり、監督とフランクに話し合ったり、ワガママな俳優を適当にあしらったりというキャラに惚れました。 彼女のキャラクターも、実際にトリュフォー監督と仕事をしていて共同脚本家としてよくクレジットされていたシュザンヌ・シフマンをモデルにしたようです。加えて劇中の撮影で助監督を演じていた方も実際の助監督でもあったそうで、とことん実際のトリュフォー組に近づけてあるんだなと思うと、ファンとしては細かく見入っちゃいますよねー。他にも実際に監督が体験したエピソードを元にした部分も色々あるようだし、撮影方法の工夫など('70年代当時ならではっぽいけど)、映画ファンが興味を持ちやすいシーンも多いですし。そして登場人物たちも色んな人がいてそれぞれに様々なエピソードがあって・・というドラマも面白いと思います。 ところでタイトルの「アメリカの夜」というのは、昼間の撮影の際にカメラにフィルタをかけて夜間撮影のように見せる技術で、ハリウッドで多用されたため"アメリカの夜"と呼ばれるようになったとのことです。 やっぱり古い映画は夜のシーンも昼間に撮影していたんですねー。モノクロの「麗しのサブリナ」なんかを観ていると、話は夜なのにあきらかに昼間やん!と思うシーンとか有って気になってたんだよねー^^francois> |
奇妙な世界が面白い ◆華氏451(Fahrenheit451)1966年 監督:フランソワ・トリュフォー 原作:レイ・ブラッドベリ
SFが嫌いなトリュフォー監督による SF作品です。ロボットが出て来るような話は大嫌いだそうで、未来の社会を描いていますがそういった"いかにも"なものは出てきません。登場人物にあまり人間味やリアリティが無く書物に焦点が当たっている奇妙な物語だし、異常な社会を描いているという意味でSFなんだそうです。 オープニングクレジットから風変わりです。タイトル、キャスト、スタッフなど、普通は文字が画面に出るものがナレーションで読み上げられます。なので、文字は全く使用されないという「華氏451」の世界にいきなり入ってるわけですね。 本を発見しては焼却していくファイアーマンたち、家で一日中ぼーっとテレビを観ている主人公の妻、そのテレビの中の機械的に話す人など、やたら表情の乏しい不気味な登場人物たちが印象的です。本を読まなくなった人々は、情報がテレビからの限られたものに統一されて、誰もが同じ思想を持ったような形になってるわけです。管理社会・・・恐いですよ。考えるようなこともなくなって、ぼけっとした人ばかりになってる様子だし。 そんな中で隠れて本を読んでいるクラリスは、溌剌としゃべり知識も豊富、キュートな笑顔も見せちゃうまるで別世界の生き物。そりゃーもう魅力的に映ります。このクラリスを演じたジュリー・クリスティは、家で薬漬けでボーっとしてるモンターグの妻の役も演じています。それが凄いんですよ。同じ人が演じていると一見気付かないくらい全然違うの。(実際私は一度めの鑑賞では同じ顔だと気付かなかった・・・) 髪型は違うけど特に大きく違ったメイクをしているわけでもないんだけど、表情の違いと雰囲気でこれだけ違う人物になっちゃうんだからビックリです。役者って凄いなー モンターグが初めて本を読むシーンも良かったです。表紙から1ページずつ丁寧にめくり、一語一語指で辿りながらたどたどしく小さな声に出して読んでいく。それはもう壊れ易いものに触れるかのように大切に大切に読むんです。文字を読むということに慣れていないからたどたどしいということもあるかもしれないけど、何も読み逃したくなくて一生懸命というようにも見えるし、読みながらの歓びの表情がとても良くて・・・。この上ない快感といった感じ。本が読みたくなりますね。トリュフォーの本への愛情、しっかりと伝わって来ちゃいました。 この映画は、英語が全くできない監督が英語のセリフの英語圏作品として、英語しか話せないスタッフ、キャストに囲まれて作らなければならなかったことや、主演のオスカー・ウェルナーとの不和などトラブル続きだったそうです。そのせいもあるのか冷たい雰囲気のある随分不思議な趣の作品で、それが私にはとても面白いんです。francois |
まだまだ若いアントワーヌの青春物語 ◆夜霧の恋人たち(Baisers Voles)1968年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー
アントワーヌが退役する場面から始まります。飄々とした態度で除隊され、ちょこまかと走って向かった先は街角に立つ女のところ。外へ出たらまず女を買うわけです。トリュフォーの映画を観ていると、娼婦と遊ぶ場面や娼館に行くシーンなんかが当然のように出てくるんだけど、そういう時代なんでしょうか?それとも土地柄?私が世間知らずなだけ?(結局これね・・) いい加減慣れましたが、色んなところで見かけるので最初は、普通なの??とビックリしたものです。 この頃のクリスティーヌはまだまだ若くてフレッシュ!という感じですが、いまいち垢抜けない風貌な気もします。可愛らしいんですけどね。 アントワーヌは相変わらず恋人の両親とは仲良し。仕事を紹介してもらって早速再就職するものの、未熟なアントワーヌは私立探偵の策略にまんまと嵌められてさっさとクビになってしまうんですが、その時の探偵が彼に掴ませた1枚の紙幣を支配人が奪い取り、半分に破って「これは退職金、これは年末手当」と言って渡すところが好き。 そして私立探偵になったアントワーヌの尾行の下手なこと!コント的な動きで笑わせてくれます。集中力が無いし、どんくさい感じだし、そもそも探偵になんか向いてないよね・・。 この映画を制作するにあたり、探偵事務所の仕事を随分取材したそうで、男性が男性を捜索する依頼など実際の依頼に基づいた部分もあったり、得た知識(調査方法など)を色々盛り込んだりして細部までこだわったようです。その甲斐あって探偵の場面は特に面白いと思います。 とにかくアントワーヌは尾行がダメなので、別の依頼での潜入調査の仕事をすることになり、そこで出会うのが美しいデルフィーヌ・セイリグ演じる社長夫人のファビエンヌ・タバール。この女優さんは私はこの他では見たことないんですが、憧れちゃいますねー。少し鼻は上向きだけど、それでも美しい!穏やかな声とゆったりと落ち着いた口調が大人の女性の魅力たっぷりなんですよ。彼女に惹かれるアントワーヌの気持ちは判ります。 しかし彼には一応恋人のような関係のクリスティーヌという相手がいるので、彼の中では2人の女性がグルグル回っているんでしょう。鏡に向って2人の名前と自分の名前をまばたきもしないで延々と連呼するわけです。少々気味の悪いシーンなため、アメリカなどこのシーンをカットして上演した国もあったそうです。日本はどうだっかのかな?恋に悩む青年の行動としてあっていい場面だと思うんですけどね・・。 何度見ても判らないし解説を聞いてもやっぱり判らないのが、夫人に対して「ウィ、マダム」というべきところで「ウィ、ムッシュー」と言い間違えて凄い勢いで逃げ帰る場面。恋愛における何かいわれのある行動のようですが、どうしても意味が判らない。私は恋愛の達人にはなれそうにないですね。 あと面白かったのが気送管郵便という速達システム。パリの街の地下に張り巡らされたパイプを郵便物がシャーっと送られるようですが、これはSFかと思いきや本当に存在したものらしいですね。昔行ったことのあるホテルで、精算をこういう気送管で行うシステムを採用しているところがあったのを思い出しました。あれの場合はビルを縦に行ったり来たりするだけなんで仕組みは単純ぽいんですが、街の中で色んな行き先があるとなると、いったいどうなってるんだか不思議でしょうがない。こういう技術って凄いですよねー。francois |
許せちゃうから不思議・・ ◆ 恋愛日記(L'homme Qui Aimait Les Femmes)1977年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー
「女の脚はバランスよく地球を計るコンパスだ」by ベルトラン。 名言なのかなんだかよく分らない微妙な言葉ですが、要は美脚フェチの男の話です。 普通だったらこんな女を取っ替え引っ替えするとんでもない男の話には、観ながら「なんだこいつ!」と憤慨するんですが、この映画ではそれが無い・・・不思議ですよ。 美しい脚に目がなく、見つけると口説かずにいられない。声を掛ける前に見失えば、あらゆる手段を使って無理矢理彼女の住所を調べあげる。ビョーキやん!と切り捨てたいところだけど、ハンサムでもないしお金持ちでもないくせにモテモテなこの男。なぜなのか・・・それはいつも真剣だから。本人はいたって真面目。何人もの女を口説くけど、決して一晩遊びたいためじゃなく、本気でそれぞれの美しい脚に恋をしてる・・・ように見える。 自分の女性遍歴を小説にまとめようと考えるくらいだから、多くの女と遊んでるという自覚はあるんですかね。でも、少なくとも彼から受ける印象は全くナンパじゃぁないんですよ。調子のいい口説き文句を連発することもないし、ドンファンやカサノヴァを気取ったプレイボーイみたいに振る舞うこともないからイヤな感じを与えないんでしょうねー。 加えて、こんな男の話なのに、話が全然ドロドロしないのが良いし不思議。次々に女を乗り換えるので、ついには女が鉢合わせまでしちゃうのに何も起らない。全編タッチが軽いんですよね。男の話だからかな?女側の話だったら大変な事になるんだろうけど、主役は男、話作ったのも男、だから?そうかー・・男のファンタシーなんだな。そして、それを観ててもアホか!とは思わないで済んだのはトリュフォーだからか。これにはやっぱりさすが〜と思っちゃいますよ。 トリュフォーのDVD-BOXを買って一度観て以来、ずっとしまってあったんですが、ようやく二度目の観賞をする気になりました。一度目の観賞の印象もやはり悪くなかったんですが、私がまた会いたい!と思う役者が特にいなかったのが原因でしょう。ところが今回はこの特にハンサムでもないベルトランにちょっと魅力が感じられたのが不思議。このキャラが面白くなってきたってことかなー。francois |
美しい映像と音楽、文学的な美しい愛の物語 ◆恋のエチュード(Les Deux Anglaises Et Le Continent)1971年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー 原作:アンリ=ピエール・ロシェ
原題は『二人の英国女性と大陸』。 姉妹がクロードを"大陸"(フランスは海の向こうの大陸にあるから?)と呼んでいたので、このタイトルでこの3人を表してるんですね。 トリュフォーのインタビューで読んだには、姉妹役の女優さんは小柄なレオーよりももっと小柄で、特に美人ではなく、かつフランス語を話せることを条件に選んだそうで。私はどちらも美人だと思って観てたので(特にミュリエルが好み!)、これを読んでちょっとショックを受けました^^; *アン(左)とミュリエル(右)* イギリスはウェールズの、切り立った海岸沿いにポツンと立つブラウン家。そこから坂になった小径下りると、海に面する崖の上に草原のような広場があって、3人はそこでピクニックをしたり、テニスをしたり、スケッチをしたり、私たちにはよく判らない遊び(笑)をしたり・・・2人への気持ちを胸にしまったクロードも穏やかに楽しんでて。 この穏やかな雰囲気と美しい風景、美しい映像がステキなんですよねー。でも実際の撮影はフランスで行われたそうで・・・ 普段見慣れない、随所にナレーションが入る映画に最初ははっきり言ってとまどいましたが、1950年代に発表された小説の映像化なんですよね。その原作の雰囲気をナレーションによって活かされているんだろうと解釈し納得して観たら、いい感じになってきたんですよ。このナレーションってのが、事実の記録を読むかのような淡々とした(ナレーションってそういうもん?)内容と口調で、それだけでストーリーが随分リアルに感じられちゃったりして。 そういえば原作は、作者の体験を元にしてるって話だったかも。だったら本当に事実を述べてる感じですかね? 公開当時は、作品内のあるショッキングな映像に抗議が殺到したために、その部分をカットするなんてことがあったそうです。現在はそれは戻された状態で観ることができますが、確かになかなかインパクトのあるショッキング映像ですね。 それはともかく、ジョルジュ・ドルリューのしっとりとした流麗な音楽、繊細に移り変わる3人の心の動き、この時代を想像できるような品の良い衣装や振る舞い。全てが美しい素敵な映画です。ただし全員の行いが美しいかどうかは何とも言えないですけどねー。 私のお気に入りのミュリエル役のステイシー・テンデターさん。今はどうされてるかと調べてみたら、2008年に59歳で亡くなられたようです。(fromウィキペディア)すごく残念ですね・・・本当にショックです。 とにかく私はこのはかない愛の物語が大好きです!francois |
大人の恋の激情物語♪ ◆隣の女(La Femme D'acote)1981年 監督、脚本:フランソワ・トリュフォー
自分ちの隣に元カノが引っ越してきた!・・・なかなか妄想チックなシチュエーションですねー。こんなことになったら、不倫でもしないと気まずくてしょうがないかも。まぁ、不倫しても気まずいに決まってるけど^^; とりあえずトリュフォー監督の当時の恋人で最後の妻となるファニー・アルダン。この人、1995年の映画「サブリナ」や、2002年の映画「8人の女たち」なんかで見るのとあんまり容姿が変わってなくない??凄いなぁ〜♪この作品ではセクシーで激しく、そして苦悩に満ちた女となっています。 『一緒にいたら苦しいが、離れていては生きられない』 要は不倫の話なんだけど、なんでこれがなんだか純粋ぽく見えてしまうのかしら・・・。ベルナールの直球な感じが無邪気に見えてしまうから?あのデカいドパルデューが、子供みたいで「しょ〜がない子ねぇ」的に思えてきたり・・・。 2人がそれぞれ何度も考え直してみたりするものの、お互いそのタイミングが合わずに困ったドロドロに。最終的にはやっと合ったのね〜と思ったんだけど・・・。 結局は不倫は怖いってことで。いや、まぁこの映画はそういう一言で済む話ではないんだけれど。でもやっぱり私は不倫反対派なんで、家族の身になれとか思っちゃうし、不倫で結局良いことなんか無いって!とか思っちゃうしねー。 だからといって私がこの映画が嫌いかといったらそんなことなくて、むしろ好きなんですよ。不思議だよなー。トリュフォー・マジックなんだろーなー。あはは・・超漠然^^; 要はまだよく判ってないってことなんだろうね。雰囲気やセリフの一つ一つに魅力を感じてる部分が多い気もするし。まだまだこれから更に繰り返し観るつもり。 とにかく私はこの衝撃のドロドロ映画が大好きです!francois |
ヌーベルバーグの巨匠トリュフォーによる『アントワーヌ・ドワネルもの』4作目。 シリーズ中では私はこれが一番好き♪ ◆家庭(Domicile Conjugal)1970年 監督:フランソワ・トリュフォー、主演:ジャン=ピエール・レオー
まずアントワーヌ・デュアメルによる印象的なテーマ曲「家庭協奏曲」が好き♪そしてオープニング、街で買い物中「ありがとう、マドモワゼル!」と言われて「マドモワゼルじゃないわ!マダムよ!」と誇らしげに訂正するのを楽しむ可愛い新妻、クリスティーヌに魅き込まれちゃう!(歩く脚を追う映像が何故かオシャレな感じに見えちゃうんだよなー) アントワーヌは自宅アパートの中庭で、白い生花を染める仕事(何それ??)の作業風景を見せながらの登場。(アントワーヌはこの作品時の見た目が一番良くない?) 軽快なコメディを予感させるとってもステキなオープニングです! この作品のストーリーはやはり、家庭の幸せ絶頂期にアントワーヌが日本人女性と出会い、ドワネル家崩壊の危機・・・というところが大筋になるのでしょうけど、それ以外の盛りだくさんの細かいネタ、エピソードがとってもキュートだったり、可笑しかったりでいいのよぉ。それらのお陰で私には、この映画がキラキラな印象を残しているんだと思う。 アントワーヌも「恋をした」と言う、クリスティーヌのパパとママも楽しくていい人達だし、近所の住人たちも愉快な仲間たちといった関係でホントに楽しそう♪だし、アパート中庭でアントワーヌにまとわりつく一人よがりの女も面白いし♪ ところで、作品内での日本女性の描き方に偏見があったということで、監督自身が後にこれを失敗作とみなしたそうだけど・・・。確かにキョウコは怖い。けど、だから面白いんじゃないかな?なんてことも思ってみたり。 とにかく私はこのラブリーな映画が大好きです!francois |